コラム

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“嗅覚”と“触覚”

    
人間の発明した道具は、手足を始め体の機能の延長線上にあるものが多い。
目の延長は“眼鏡”や“望遠鏡”“顕微鏡”がある。
口の延長は“マイク”“拡声器”や“電話”。
耳の延長は“補聴器”や“聴診器”。
足の延長は“自動車”や“船”
手の延長は 各種の“道具”や“クレーン”
考えてみると無い事はないが、“嗅覚”を掌る“鼻”や“触覚”を掌る“皮膚”の延長にあるものは少ない気がする。

さてユビキタスの時代と謂われる現在であるが、とてつもなく便利な時代になりつつある。 
機械や端末同士が感知し、会話し合い、お互いを動かし、又牽制していく。
人間は考えずともそれらは動くのである。
しかしそれら機械や端末、システムの判断はいつも正しいのであろうか? 
ユビキタス以前のものとして、車のエアバッグは、故障していない限り、その設計上の衝撃度を超えたら人間よりも遥かに正確に、且つ自動的に作動する。 
理屈上は“正しく”判断し作動しているのであろうが、エアバッグの前にいる人がどんな人で、どんな格好をしていて、どんな状況にいるのか、それが判るものではないであろう。 
エアバッグの衝撃で不自然な姿勢で乗っていた幼児の事故が多い事、枚挙にいとまが無い。
反対に、人が危険を察知してブレーキを踏む場合、咄嗟に廻りの状況を判断する。
幼児の顔や胸部にまともにエアバッグが当たらぬ様、手で防ぐ事等を含めて僅か0.何秒の間に少しでもブレーキの踏み方を考えて動作に移している筈である。
 
人間の生活を便利にする為に、機械やシステムを使うのであって、それらは賢く動かされねばならぬ。
携帯電話に目を移せば、それはどんどん機能が増え、通話だけでなくメールやインターネット、バーコード読取、 財布代わり、と何時の間にか我々の生活の大部分を頼っている機能が入ってきている。
当然それが無くなった時、紛失した時の代償は大きい。 因みに携帯電話やPCに含まれる個人情報の紛失予防に対するセミナーは極めて多いが、何故か紛失した時どうすればよいのかというセミナーは一度も聞いた事がない。
それは置いといて、その携帯電話は、目、口、耳、足、手、そして若干の“頭”の延長といえるであろう。本当に距離を感じさせないコミュニケーションが取れたり、情報入手が自由に出来たり、自己の証明をしたりする事が出来る代物である。 
だが何か足りないものがあるのではないか? “情感”である。
携帯電話の機能に加え、人は“情感”を持って通話を行う。
エアバッグの例では、人のブレーキの踏み方には反射神経の他に咄嗟の判断や“勘”が加わる。
それは単なる理論上の計算だけでなく“幼児を守ってやりたい”という“情感”が必ずあろう。
“情感”や“勘”を持つ人間の感覚・感性に、その延長線上の道具が少ない“嗅覚”と“触覚”が重要な要素になっている様に感じる。

ユビキタスに振り回される事勿れ。 折りしも昭和30年代ブームであるが、当時の漫画の中でよく描かれているロボットものが流行ったあの時代、人間とロボットが共存する“夢”の便利な世界を想像する事はあっても、誰もそのロボット達に振り回される事を想定はしていなかった筈である。 それとも近未来に対する警鐘だったのであろうか。

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